野営車でいこう(VWT4版)

旧野営車エクスプローラ 2009〜2016年の記録

<span itemprop="headline">3日目~卓袱料理と志士たち</span>


 旅の3日目、ハウステンボスを後にして長崎へ。ナビを距離優先にして国道206号をひたすら南下。渋滞もなく海岸線の多いコースで目標時刻にレンタカーを返すと、すぐに本日のハイライト「花月」に向かった。江戸時代、長崎の遊郭丸山で繰り広げられた幕末の志士達に思いを馳せて卓袱(しっぽく)料理を初体験。

 「龍馬伝」で蒼井優が演じた芸姑さんや、赤い提灯が目に浮かぶ。食事の前に、私たち夫婦を担当していただいた中居さんに歴史あるこの史跡料亭を案内していただいた。私たちの卓があるのは、勝海舟が気に入っていたという部屋で、そこから龍馬の刀の傷跡の残る部屋、廊下に飾られた志士たちの展示品などを見ると否応なく気分は盛り上がってくる。英国船の水夫が殺害されたイカルス号事件で、当日「花月」にいた海援隊に嫌疑がかかったことに抗議する龍馬の抗議文の書はドラマに使われたそうだ。複雑な構造の廊下を歩いていくと、当時、志士たちの会合の場としてよく使われ、客同士が鉢合わせをしないように配慮されたその意味が伝わってくる。確かに、料理を運んでいる中居さんに一度遭遇しただけで、他のお客さんの気配を感じなかった。

 さて、部屋に戻ると朱塗りのテーブルに料理が並んでいた。卓袱料理の始まりだ。「卓袱」という字は、「卓袱台」と書けば「ちゃぶだい」と読む。そう、あのおやじがひっくり返すちゃぶ台。日本では、この長崎で卓袱料理が始まるまで、長く武士の時代は銘々膳を使っていた。そうか!中居さんに言われてはっとした。言われてみれば、それぞれの膳に盛られた一汁三菜、一汁一菜を食べるシーンを時代劇でよく見た。庶民は箱膳という自分の茶碗を収納する引き出し付きの膳を使った。出島のあった長崎では、オランダや中国人の食事の影響で、膳でなく大きな卓に並んだ大皿の料理を各自の皿にとって食べるという、今では普通のシェアするスタイルが当時は珍しく新しかった。中国から入った普茶料理も大皿料理だそうだが、出島のある長崎は開国を前にして最先端都市だったことが、この卓袱料理からも伺うことができた。

 いよいよ始まりの儀式、中居さんに変わり、凛とした女将が入ってこられた。挨拶をされた後、「御鰭(おひれ)をどうぞ」という言葉で卓袱料理はスタートした。それを受けて、まず「御鰭」という鯛の吸い物をいただく。後は自由に銘々皿に取り、円卓を囲んで杯を交わし会話を楽しむ、というのが卓袱料理の醍醐味らしく、志士たちがこの円卓で盛り上がった様子が想像できる。こうなると昼とは言えお酒は必となるが、糖質制限的に日本酒はNGなので焼酎にした。料理は、和食に西洋風と中華風がミックスされていると言うが、今の感覚ではほとんど和食の味だった。そして次々に暖かい料理が運ばれてくる。有名なハトシ(パンに鰻などを挟んで揚げたもの)、豚の角煮…そして最後にきのこや湯葉の入ったスープとご飯が運ばれた。中居さんに「ご飯にかけてください」と言われ、試してみると優しい味で美味かった。全般的に上品な薄味でとてもよかった。実は、有名な店だし、味はそれほど期待しなかったが、予想を裏切る満足度だった。料理を運んでいただく度に中居さんといろいろお話させてもらい、焼酎も3杯飲み、あっと言う間に時間は過ぎた。帰り際、お世話になった中居さんに、玄関の前で記念写真を撮らせてもらった。

 花月を後に、グラバー園に行くと、またまた「龍馬伝」のシーンを思い出した。亀山社中、グラバー邸から望む三菱重工業の長崎造船所…この街に今でも息づく岩崎弥太郎の存在は、次の日の軍艦島へと続くことになる。