野営車でいこう(VWT4版)

旧野営車エクスプローラ 2009〜2016年の記録

<span itemprop="headline">ユーミンと「ニューミュージック」</span>







キャンピングカーのライターである町田さんのブログに「ユーミンの罪」という本のことが書いてあった。ちょっと気になったので、早速Amazonで買ってみた。

その本はデビューアルバムの「ひこうき雲」から「ドーンパープル」までのことがアルバムごとに書いてあった。最初の方のページに「ユーミンはデビュー当時、ニューミュージックの人と言われていました」と書いてあった。確かに今では死語となってる「ニューミュージック」という言葉がちょっと気になったので、ググってみるとその由来については諸説あるらしい。

でもその諸説の中で自分がリアルに体験したことがあった。
それは、当時の洋楽雑誌「ニューミュージックマガジン*(以後NMMと略)」からという説。

当時の洋楽の雑誌には、派手なグラビアの「ミュージックライフ」に対して、文字中心のちょっと辛口の中村とうよう編集長のNMMがあった。
そのNMMには、毎年その雑誌の何人もの専属ライターがそれぞれ自分の年間ベストテンを発表する特集があった。毎月の記事の中で自分と同じような好みのライターを見つけておくと、そのベストテンは結構参考になった。ところが、1974年に発売された「洋楽」のベストテンの特集で聞いたこともない荒井由美の「ミスリム」と言う日本のアルバムがほぼ全てのライターのランキングに突然入っていた。
それは洋楽の雑誌の中ではあり得ない「事件」だった。すぐにそのアルバムを買って聴いたのがユーミンとの最初の出会いだったことを今でもはっきり覚えている。

今から思えば、洋楽雑誌のランキングに邦楽を入れるというルール違反は、あの有名な「キャンティ」で繰り広げられたデビュー当時のユーミンとそうそうたるメンバーのサポーターたちの意図的なキャンペーンだったと勘ぐってもしまうし、ある種の邦楽を洋楽と捉えたところに当時の「ニューミュージック」の神髄があったのかもしれない。

60年代、日本では歌謡曲、洋楽ではアメリカンポップス全盛の後、イギリスからビートルズボブ・ディランのフォークと時代が大きく変わる中、日本でもグループサウンズフォークブームなどの後に生まれたのが、どのジャンルにもなかったニューミュージックだった。「ユーミンの罪」に、「ニューミュージックという言葉自体は、1970年代半ばになってから、人口に膾炙したようです。」と書いてあることからすると、72年にデビューしたユーミンを75年頃にNMMが取り上げ、「ニューミュージック」というジャンルが日本に定着したことと合致する。

いずれにしても、そのあたりに今のJポップに至る流れの出発点があるし、70年代は様々な価値観の変化で時代が大きく動いたときだった。「ニュー」という相対的な言葉がその時代を表して定着した例は、アールヌーボーとか、ヌーベルバーグとか、ニューシネマとかと同じだと思うし、それほど時代が動いた時だった。

ユーミンの罪」には、さらに曲をもっと掘り下げた時代の意識の変化のことが書いてあるようなので、70年代からバブル崩壊の頃を改めて反芻するのも面白そうだ。


*現在は「ミュージックマガジン」になっている