その本はデビューアルバムの「ひこうき雲」から「ドーンパープル」までのことがアルバムごとに書いてあった。最初の方のページに「ユーミンはデビュー当時、ニューミュージックの人と言われていました」と書いてあった。確かに今では死語となってる「ニューミュージック」という言葉がちょっと気になったので、ググってみるとその由来については諸説あるらしい。
でもその諸説の中で自分がリアルに体験したことがあった。
それは、当時の洋楽雑誌「ニューミュージックマガジン*(以後NMMと略)」からという説。
当時の洋楽の雑誌には、派手なグラビアの「ミュージックライフ」に対して、文字中心のちょっと辛口の中村とうよう編集長のNMMがあった。
そのNMMには、毎年その雑誌の何人もの専属ライターがそれぞれ自分の年間ベストテンを発表する特集があった。毎月の記事の中で自分と同じような好みのライターを見つけておくと、そのベストテンは結構参考になった。ところが、1974年に発売された「洋楽」のベストテンの特集で聞いたこともない荒井由美の「ミスリム」と言う日本のアルバムがほぼ全てのライターのランキングに突然入っていた。
それは洋楽の雑誌の中ではあり得ない「事件」だった。すぐにそのアルバムを買って聴いたのがユーミンとの最初の出会いだったことを今でもはっきり覚えている。
今から思えば、洋楽雑誌のランキングに邦楽を入れるというルール違反は、あの有名な「キャンティ」で繰り広げられたデビュー当時のユーミンとそうそうたるメンバーのサポーターたちの意図的なキャンペーンだったと勘ぐってもしまうし、ある種の邦楽を洋楽と捉えたところに当時の「ニューミュージック」の神髄があったのかもしれない。
60年代、日本では歌謡曲、洋楽ではアメリカンポップス全盛の後、イギリスからビートルズ、ボブ・ディランのフォークと時代が大きく変わる中、日本でもグループサウンズやフォークブームなどの後に生まれたのが、どのジャンルにもなかったニューミュージックだった。「ユーミンの罪」に、「ニューミュージックという言葉自体は、1970年代半ばになってから、人口に膾炙したようです。」と書いてあることからすると、72年にデビューしたユーミンを75年頃にNMMが取り上げ、「ニューミュージック」というジャンルが日本に定着したことと合致する。
いずれにしても、そのあたりに今のJポップに至る流れの出発点があるし、70年代は様々な価値観の変化で時代が大きく動いたときだった。「ニュー」という相対的な言葉がその時代を表して定着した例は、アールヌーボーとか、ヌーベルバーグとか、ニューシネマとかと同じだと思うし、それほど時代が動いた時だった。
*現在は「ミュージックマガジン」になっている